愛猫との別れ
2003年7月26日今日夕方、すでに息絶えた猫(ミーちゃん)が運び込まれてきた。
運転はお父さん、お母さんが後ろの席で血だらけのミーちゃんを抱えていた。
お母さんはパニック状態で、顔や手をミーちゃんの血で真っ赤にして叫んでいた。
僕がミーちゃんを抱き上げようとしても、お母さんは手がうまく動かせないようで
結局抱いたまま車から降りてもらい診察室へ入ってもらった。
もう聞こえない心臓の音をなんとか捕まえようと聴診器を動かす僕の横で
『私が車で轢いてしまったんです。』とお母さんが大泣きしていた。
瞳孔も開き、お腹の中は(恐らく)内臓破裂による多量の出血があるだろうと思われた。
肺でも出血があったらしく喀血していたが、それらの事は話さなかった。
その方のお宅からうちの病院までおよそ1時間。
1時間ずっと自分を責め続けミーちゃんに謝り続けていたのだろう。
そのご夫婦はとてもミーちゃんを可愛がっていた。わざわざ車で1時間もかかるうちの病院に来ていた。
お母さんの心中は察して余りある。
まだミーちゃんは9歳、人間で言えば40後半から50歳くらい、まだ猫盛り…
その可愛い猫の命を絶ってしまったのは自分だと今も責め続けているんだろう。
今夜眠れるんだろうか?食事は?何か少しでも口にしたんだろうか?
帰り際、泣きながら車に乗り込む二人にかける言葉を探した。
『この子は本当に可愛がってもらっていたから絶対にお母さんを責めませんよ。
きっと、今までありがとうって言ってますよ。
だから明日になったら笑って送ってあげましょうね』っていったような気がする。
何の慰めにもならないが、今の自分はこういうときにかけてあげる言葉を持っていない。
自分の猫が逝ってしまった時から…
あの子も9歳だった、もう1年半以上経つのにいまだに思い出すと涙が出てくる。
あの日から、こんな時に人に書ける言葉を見失った、
というか今までの言葉が嘘っぱちだって事に気づいた。
どんな言葉も慰めにも何にもならないのかもしれないけど
でも一つでいいから言葉が欲しい。自分にも言ってあげたい。
こういう時に獣医ってちょっとは力になれるんじゃないかと思ってた。
だってその動物のことを知っているから。
でも自分はいまだにできない、これからも…
最後にちょっとだけでも力になりたいんだけど。
運転はお父さん、お母さんが後ろの席で血だらけのミーちゃんを抱えていた。
お母さんはパニック状態で、顔や手をミーちゃんの血で真っ赤にして叫んでいた。
僕がミーちゃんを抱き上げようとしても、お母さんは手がうまく動かせないようで
結局抱いたまま車から降りてもらい診察室へ入ってもらった。
もう聞こえない心臓の音をなんとか捕まえようと聴診器を動かす僕の横で
『私が車で轢いてしまったんです。』とお母さんが大泣きしていた。
瞳孔も開き、お腹の中は(恐らく)内臓破裂による多量の出血があるだろうと思われた。
肺でも出血があったらしく喀血していたが、それらの事は話さなかった。
その方のお宅からうちの病院までおよそ1時間。
1時間ずっと自分を責め続けミーちゃんに謝り続けていたのだろう。
そのご夫婦はとてもミーちゃんを可愛がっていた。わざわざ車で1時間もかかるうちの病院に来ていた。
お母さんの心中は察して余りある。
まだミーちゃんは9歳、人間で言えば40後半から50歳くらい、まだ猫盛り…
その可愛い猫の命を絶ってしまったのは自分だと今も責め続けているんだろう。
今夜眠れるんだろうか?食事は?何か少しでも口にしたんだろうか?
帰り際、泣きながら車に乗り込む二人にかける言葉を探した。
『この子は本当に可愛がってもらっていたから絶対にお母さんを責めませんよ。
きっと、今までありがとうって言ってますよ。
だから明日になったら笑って送ってあげましょうね』っていったような気がする。
何の慰めにもならないが、今の自分はこういうときにかけてあげる言葉を持っていない。
自分の猫が逝ってしまった時から…
あの子も9歳だった、もう1年半以上経つのにいまだに思い出すと涙が出てくる。
あの日から、こんな時に人に書ける言葉を見失った、
というか今までの言葉が嘘っぱちだって事に気づいた。
どんな言葉も慰めにも何にもならないのかもしれないけど
でも一つでいいから言葉が欲しい。自分にも言ってあげたい。
こういう時に獣医ってちょっとは力になれるんじゃないかと思ってた。
だってその動物のことを知っているから。
でも自分はいまだにできない、これからも…
最後にちょっとだけでも力になりたいんだけど。
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